Lektion 40, Text 1

第四十課 一 送別会

東京にある日本語学校の上級クラスでは、来月帰国する人々のために、送別会を聞きました。いろいろと話がはずみ、夜の更けるもの忘れるほどでした。

青木先生「学校の授業では、不充分な面もあったかもしれませんが、外国語ばかりは、先生さえよければ上手になるとは限りませんね。まあ、先生は、ちょっと手を貸してくれるだけに過ぎないと考える方がいいでしょう。」

イワンフ「それもある意味では正しいかもしれません。特に日本語は、自分で本や新聞を読んだり、どんどん日本人と話してみるより他に、上手になる方法はないにちがいありません。でも、私は特に青木先生の説明でわけがはっきりつかめたことも多く、とても感謝しています。」

ヤコブ「これは、私だけが経験してわけではないみたいですが、日本人はよく、外人が少し日本語を話すと、間違いがたくさんあったり、何を言っているのか、わけがわからなくても、『日本語がお上手ですね。』などと言います。それは言葉だけに過ぎなくて、本当は、日本語はむずかしくて、外人にはどうせできないと思っている日本人が多いみたいですね。もっと率直に直してくれたらいいのにとよく思いました。」

青木先生「そういうことはよくあるみたいですね。日本人の側に、別に悪い気があるわけではないのでしょうけれど、近ごろ、外国語としての日本語、外国人に教えるための日本語という立場から、日本語がもう一度検討されるようになってきました。日本人ならだれでも、外人に日本語が教えられるわけでもありませんし、なかなかむずかしいですね。」

ヤング「日本にいたのは一年に過ぎませんが、だれでも僕たちみたいに、日本という、日本語だけが話されている環境の中で、日本語の勉強ができるとは限らないし、その点とても幸せでした。」

スミス「日本語の表現には、時々おもしろいのがありますね。この前も電車の中で耳にしたのですが、『あの人は弁は立つけど、足腰の立たない人だ…』そのまま訳したら、わけがわかりませんけどね。」

ヤコブ「え?それはどういうことですか。」

青木先生「ああ、それは多分、話すのはとても得意だが、実際には何もしない人のことでしょう。みなさんも、それぞれお国に帰ったら忙しいにちがいないでしょうが、半年に一度ぐらいは、互いに日本語で近況を知らせ合うようにしたいですね。」

何年か後で、みんなでまた集まったら楽しいにちがいないし、是非実現させるようにしようと、互いに約束して別れを惜しみました。


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