Lektion 33, Text 2

第三十三課 二 親友

いい友だちが人生にとってどんなに大事かを経験したことのない人は不幸な人だと、このごろ私は身をもって考えさせられています。

村上と私は、山形県の農村の出身で、小学校時代からの友だちです。この村には貧しい農民が多く、私の家も例外ではありませんでした。村上は村の医者の長男でした。お父さんは、自分の物質的な利益にはならないのに村民のため献身的に骨折ることで評判で、医者の模範として尊敬されていました。このように村上と私は、全く違う家庭環境に育ったのにとても仲が良く、近くの川で魚を釣ったり、男の子らしい乱暴なことをしたりしながら、村の中学校をいっしょに卒業しました。

家が貧乏なのに大学まで行くのは大変でしたが、アルバイトをしながら私は東京の大学で法律や社会学を勉強しました。村上は東北大学の医学部に入りました。こうして二人は離れてしまったのに、その友情は変りませんでした。休暇で村に帰って来た時などには、大学で学んだ知識を、まじめに働く人々の幸せに役立たせるのには、どうすればよいのかなどと真剣に議論したりしました。卒業後、村上は東京で外科の医者になり、私は仙台市で高校の社会科の先生になりました。

それからもう十年以上が過ぎました。私はずっと丈夫だったのに三年ほど前、病気で倒れてしまいました。長い間無理をしていたのに医者にも見せないでほうっておいたのが悪かったのか、結核だとわかった時には、病状はかなり進んでいました。この病気には栄養のある食物と空気のきれいなところで十分に静養するのが一番よいということはわかっていても、教師の質素な家計では、それも不可能です。このことを知った村上は、付き合いのある病院に私をすぐ入院させてくれました。長い病気で、もともと少なかった月給も減らされました。このような場合、社会保障が不充分な日本では、家族は直接な打撃を受けます。子供の将来のためだった貯金もすぐなくなってしまいました。こうして妻にも本当に苦労をなめさせてしまいました。

二年後に病気は完全に治りました。その時初めて聞かされたのですが、妻がある時、これ以上費用が払えないので私を退院させてほしいと村上に手紙で頼むと、そのことは全部任せてほしい、私が一日も早く元気になることを望むと返事をくれ、子供たちに何度か学用品などを届けてくれたそうです。今またこうして働けるのも、村上の友情と妻の愛情のお陰だと心から感謝していますが、村上は当然なことをしただけだといって私にお礼さえ言わせてくれません。私もその気持を素直に受け入れさせられてしまいますが、これこそが、本当の友情というものなのでしょう。


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