Lektion 28, Text 1

第二十ハ課 一 ある思い出

これは思い出してもおかしい話なのですが、私が高校の三年生ぐらいだった時のことです。そのころ、私は小説が大好きで、あしたは試験があるという日でも勉強はしないで、小説を読み続けたりすることがよくありました。同じ小説でも、ロマンチックな話の方が好きで、美際の生活でも、何かそのようなことがないかといつも期待していました。

私には一つ年上の姉があり、私たちは、親類や親しい友だちでも間違えてしまうほど、よく似ていました。私が姉の洋服を着ても、ちょうど似合うし、姉が私の靴をはいても、サイズがほとんど同じでした。二人は見たところは本当によく似ていましたが、性格は全く違っていました。姉は小説がきらいで、私がいろいろ教えられることもあるし、読む方がいいと何度言っても、そんな暇はないと答えて、数学などの自然科学の勉強に熱中していました。

そのころ、ある大学生が姉を好きになりました。けれども、姉は、その大学生が何度電話をかけてきても、全然関心を持ちませんでした。コンサートに招待しても、映画の切符を送っても、姉が全く反応しないので、ある日、その大学生は家に姉を尋ねてきました。ちょうど玄関に出たのが、私だったのです。その大学生はあわてて、私を姉だと間違え、「和子さん、きょうこれから少し時間がありますか。」と姉の名前で私に話しかけてきました。その大学生は、とても礼儀正しく、感じのいい青年だったので、私は、すぐその場で姉になったつもりで、おかしくても我慢して、「ええ、でも、どうしてですか。」と答えました。そんな返返事を予想していなかったその大学生は、ちょっとびっくりした顔で、その日の夕方のコンサートに切符が二枚あるので、いっしょに行かないかと聞きました。すぐ来るから、ちょっと待っていて下さいと言って、私は急いで姉の部屋に行き、事情を説明してから、代りに行ってもいいかと聞くと、姉は、小説の中の話のような経験をしないのかと笑いながら聞き返し、行ってもいいと答えました。

電車に乗ったり、音楽を聞いていた間は、あまり話をしなくてもすみました。それでも、何度か和子さんと呼ばれても、すぐには気がつかなかったことがありました。コンサートが終ってから、喫茶店に行っていっしょにコーヒーを飲まないかと言われた時、急に心配になってしまったので、断って家に帰って来てしまいました。

この大学生が、今は姉の夫で、私たちは、時々あの日のことを思い出して、よく笑います。姉の夫も、あの日は、何かおかしいと思っても、はっきり聞く勇気がなかったのだと何度か話しています。

本当にあの日のことは、今でも忘れられない思い出です。


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