Lektion 25, Text 1

第二十五課 一 先生の家へ

フンボルト大学の日本学科の学生のうちで、今週の土曜日ベルリンにいる人たちが、ベルリンの郊外にある先生の家に招待されました。私はちょうどこの土曜日に、以前から兄と午後三時半に始まるコンサートを聞きに行く約束していたので、先生の家に行けるかどうかわかりませんでした。

私は、これまでにも二度か三度、先生の家に行ったことがあります。先生と学生が自由に意見を交換できるという意味からも、このような機会は大切ですし、この土曜日にも是非行きたいと思いました。

兄はベルリンから約一五〇キロ離れているマグデブルグの学校でピアノの先生をしています。そして、毎月必ず一度か二度は、いい音楽を聞く必要から、ベルリンで聞かれるコンサートに来ることにしています。今度の土曜日には、マグデブルグからコンサートを聞きに来て、仕事の関係から、その日のうちに帰らなければならないと、きのう兄が電話をかけてきました。

土曜日には、兄と私は、すばらしい音楽を聞いた後で、喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら、音楽会がよかったかどうかなどについて三十分ぐらいしゃべりました。その後で、私は兄をシェーネフェルト駅まで見送りました。私たちが別れた時は、もう七時過ぎでした。

そこから先生の家までは、かなり遠く、国電かバスか早い方で行きたいと思いました。これまでの経験から、週末は、バスより国電の方が早く着くと思ったので、国電を選びました。一時間半後に先生の家に着いた時は、九時近くでした。

来るといっていた友だちが全部来たかどうかと思いましたが、かぜから病気がひどくなって来られなくなったシュルツさんの他は、みんな来ていて、ビールを飲んだり、にぎやかに討論したりしていました。

先生は、日本の現代文学のある有名な作品の翻訳を一週間前に終えたところですが、その内容や意味がドイツ人に理解されるかどうかについて学生たちと熱心に話していました。習慣や考え方の相違から、日本のすぐれた文学作品が、ヨーロッパで一般の人々には、なかなか理解されないという点についても、いろいろな意見が出されました。

それから、日本語の問題も話し合われました。二年前に日本語の勉強を始めた時には、日本語がやさしいかむずかしいか、私には、よくわかりませんでした。けれども今は、大学の勉強のなかで、日本語が一番楽しいと思うようになりました。日本語が本当に上手になるかどうかわかりませんし、また将来、実際に役に立つかどうかも確実ではありませんが、これからも日本語の勉強を続けたいと思います。友だちのほとんどみんなが私と同じ意見でした。


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