Lektion 24, Text 2

第二十四課 二 男女同権

前川夫人は、今年七十五歳です。夫人のものの考え方や、若かったころのことなどは、とても興味深いし、いろいろ教えられるので、私は、時々遊びに行って話を聞くのが、楽しみです。

きょうも、夫人がフランスにいたころの写真を見ながら、話し合いました。昔、女は、娘の時は父親に、妻りなると夫に、夫に死に別れた場合は息子に従わなければならなかったということを、私は最近、何かの本で読みましたが、そのことを話すと、夫人は過去を思い出しながら、答えました。

「そうですよ。生まれてから死ぬ時まで、実際にそういう一生を送らなければならなかった女性も多くいました。私も、父に対して言いたいことも言えないし、すべてを我慢しなければならなかった母が、台所の隅でよく泣いていたのを今でもよく覚えていますよ。ですから、私は子供のころから、自分は決して母のような人生を送りたくないと考えていました。女性が、一人の独立した人間として扱われるためには、何か仕事を持つ必要がありますし、またそのためには、技能を身につけなければならないと決意しました。私は二十歳の時、フランス語の勉強を始めました。経済的な困難もあり、とてもつらいと思うこともありましたが、翻訳などのアルバイトをしながら、勉強を続けました。五年後に、機会を求めて、フランスに留学しました。そのころ、女性が一人で外国に行くのは、まだ珍しかったですし、いろんな苦労もあり、勉学の途中で日本に帰ってしまいたいと思ったことも、何度かありました。」

ちょうど、お茶の時間にあり、御主人の前川氏も会話に加わりました。前川氏は画家で、女性の仕事についても理解がありますし、とても進歩的な意見を持っています。

「私は女性も能力にふさわしい仕事の場を与えられ、一人の平等な人間として認められなければならないと思うます。パリで知り合った私たちは、結婚し、互いに励まし、助け合いながら暮らしました。それから七年後に日本に帰って来ました。妻はそれ以来ずっと大学で教えたり、フランス文学を翻訳して出版したりしてきました。」

「私が仕事を続けられたのは、主人の理解と協力のお陰です、日本でも憲法や法律で男女同権が保障されていますし、特に戦後は、婦人が社会的に進出する傾向が確かに目立ってきました。女性が大臣になったこともありますし。けれども、家族の前面的な理解がないと、やはりむずかしいと思いますね。」

前川夫人のように、すぐれた仕事を残してきた女性の数は、日本でも随分増えてきました。しかし、一般的には、このような女性は、まだ例外的だといえましょう。


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