Lektion 27, Text 1

第二十七課 一 言葉の考え方

私は、数か月間日本にいたこともありますし、その他の外国に行ったこともあります。そして、外国人の考え方や感じ方をよく理解しないで、意見を述べたり、自分の立場の方が正しいと主張したりして、相手の気持を悪くしてしまった経験が何度かあります。

例えば、ドイツ人をはじめ、多くのヨーロッパ人やアメリカ人は、「はい」か、「いいえ」かをはっきり言わないで他人と話すという習慣がありません。これに対して、日本人の場合は相手が話している途中で、よく、「はい」、「はい」と言いながら、その話が終ると、「そうですね。でも、私はあまり賛成できないのですが…。」とか、「私は、そう思いません。」などと言うことがよくあります。こういう日本人の反応の仕方に驚いたり、腹を立てたりして、このことから、日本人は考えていることと、言うことが違うなどと評価する外国人も多いのです。私も何度か同じ経験をしたことがあります。後で日本の友だちとよく話してわかったことは、日本人の「はい」は、必ずしも相手の意見に賛成だという意味ではなく、「あなたの言っていることを、私はよく聞いていますから、どうぞ遠慮しないで、話を続けて下さい。」という意味で使われているということです。

それから、日本人が多くの機械に使う「すみません」や、「申しわけありません」、そして「ちっともかまいません」などという表現の意味をそのままに受け入れて、だから、日本人は大変遠慮深いとか、礼儀正しいとか思っている外国人がよくいます。けれども、これらは、日本の社会生活の習慣として日常使われている表現で、日本人自身は、その本来の意味をあまり深く考えないで使っている場合の方が多いのです。

これらに関連して言えることは、日本人の感じ方の中には、自分の意見をはっきり言ったり、相手の立場にはっきり反対したり、相手の希望を断ったりして、相手の気持を悪くしてしまうのを好きないという傾向が一般的に強いということなのです。

ある国の言葉や文化は、そこに生まれて育ってきた人たちにとって多くの場合は空気と同じようなものです。ですから、外国人にはそれらが時として理解しにくいということに、全く気がつかないで暮しているのが普通なのです。

違った文化や言葉を持つ国々の人たちが相互に接触する場合、それぞれの国民が持っている習慣や、特殊な表現の仕方を尊重しないで、相手の外国人をばかにしたり、すぐ腹を立てたりするのは、正しくないと私は思います。