Lektion 22, Text 2

第二十二課 二 遠足

中島さんは二年前から、フンボルト大学の日本学科で日本語を教えています。きょうは、日本学科が所属しているアジア学部の教職員をはじめ、事務員や秘書を含も同僚の大多数が、ベルリンから約七〇キロ離れたシュラウベ峡谷へ遠足に出掛けました。

朝七時にオストクロイツ駅の前に集まらなければならなかったので、今朝中島さんは語時半に起きるつもりでした。けれども、くたびれていたので、起きられませんでした。気がついた時は、もう六時過ぎでした。急いで歯をみがき、顔を洗い、朝ご飯を簡単に済ましてから、身の回り品を入れた小さな軽い手さげ袋を持って、六時二十分ごろ家を出ました。

きのうは一日中晴れたり、雲ったりで、夕方には雨も降ってきましたが、今朝は雨もやみ、とてもいい天気になりました。

集合場所に着いた時は、七時ちょっと過ぎでした。四十人乗れる大型バスはほぼ満員で、おそく来た中島さんは窓側の座席には、すわれませんでした。中島さんが乗ると、バスはすぐ発車しました。ベルリンを過ぎるころには、家並も絶え、左右両側には麦やジャガイモなどの畑が一面に広がってきました。いちご畑には、ちょうど収穫の時季で、濃い緑色の葉の間を、さまざまな色の洋服を着た人々が立ったり、しゃがんだりして、いちごの実を摘んでかごに入れているのが、バスからよく見えました。

互いに仕事や家族のことなどについてしゃべったり、眠くなった人は居眠りしたりしているうちに、バスはゼーローという小さな町に着きました。第二次世界大戦が終わる直前に、ソ連の解放軍がナチの軍隊と激しい戦闘を行い、その時戦死したソ連軍兵士を弔う記念碑がここにあり、みんなはまずそこを見学しました。

その後、ポーランドとの国境にあるフランクフルト・アン・デル・オーデル市に行きました。国籍がドイツ民主共和克の人は、ポーランドへの出入克査証がいらなかったので、何人かの同僚は橋を渡ってポーランドに行きましたが、日本人の中島さんは行けませんでした。

昼食後、シュラウベ峡谷までバスで行き、近くの森を約十キロ歩きました。森の中の細い道を歩くのは、とても気持がよく、小鳥が鳴いていたりして、ロマンチックでした。みんなは歌を歌ったり、時々森の中で見つけたブルーベリーを摘んだりしながら歩いたので、あまり疲れを感じませんでした。途中に湖があり、何人かの人たちは泳ぎまったが、中島さんは海水着を持って来なかったので、残念ながら泳げませんでした。

帰りの出発は五時の予定だったので、それまで中島さんは、みんなと写真をとったり、ボールを投げたりして、楽しく過ごしました。


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